歌会始と和歌の使用語について

サトルゼミ 記念すべき第一回は「歌会始め」について、物申していきたいと思います。

私はかねてよりInstagramにて稚拙ながら短歌などを投稿しております。歌会始にも応募はしておりますが未だ及ばずの様で。。。

まあそんな訳で、歌会始はいつも映像と音声をYouTubeなどで楽しむわけですが、毎度思うことがございます。それは披講のお公家さん方がせっかく古式ゆかしい調べで披露してくださるのに、言葉が現代語・漢語・舶来語ばかりでいささかもったいないのでは?という事です。

少々古いと思われるかもしれませんが、詩作品としての短歌ならともかく、歌として披露することを前提とする歌会始の詠進歌には、大和言葉や雅語を用いること、枕詞などの修辞の使用などが奨励されて良いのではないでしょうか。

万葉集:「敷島の 大和の国は 言霊の 助くる国そ 真幸くありこそ」というように大和言葉の言霊を大事にする心が和歌の心だと思うわけです。

旧派の言う通り和歌は雅語のみを用いるべき。。。とまでは言いません。平安鎌倉の時代の和歌に使われるべき言葉を「雅語」と言い、今の人が使う語彙を「俗語」と言いますが、言葉は日々進化しています。そして歌会始には天皇陛下が国民の声を聞し召す場という側面もある以上、伝統の型(儀式や言葉、文化)を守れる範囲で、その生活実情的即した現代語・漢語・舶来語の使用も致し方なしなと思うからです。

しかし、またそういった方針を掲げることで、例えば古典教育の場では実際に習った文法で作品を作るという能動的学習につなげることも期待できないでしょうか。英語教育では盛んに作文をさせるのに、古典では読むだけでは身につくものもつかないでしょう。

要は言いたいことが5・7・5・7・7の中でしかも大和言葉で言い表せるかどうかに尽きるわけです。スマホやパソコン車の助手席などでしょうか。。。新しいモノがあふれ生活も変わり確かにそれらの語なしでは言い表せない場面も増えているのは事実。なるほど難しいわけです。

では不可能かと言われればそうではないと思います。なぜならそれぞれの時代に、新しい技術や言葉生活様式の変化などがあったからで、言い換えなどをすることでその状況を表してきたわけです。また漢語を使った例が全くないわけでもありません。

和泉式部集288:瑠璃の地と 人も見つべし わが床は 涙の玉と 敷に敷ければ

藤原定家全歌集3147:りうたんの 花の色こそ 咲そむれ なべての秋は あさぢうのすゑ

ただし、現代のそれは今までのそれとは比較にならない変化であることも確かで、また漢語や俗語から和語と洋語からのそれが違うこともわかりますので、下記にその対策を考えたいと思います。

まず漢語の使用ですが、古い例は上記のごとく和泉式部藤原定家などの有名歌人にも例があります。しかし全体として少なくいことから、例外的に、どうしてもという時に限ったものと推察できます。

次に俗語ですが、明治から昭和の歌人佐々木信綱の著「歌の栞」には「愛しい妻」という俗語に対し「かなし妹、うつくし妻、かなしき人」、「いよいよ遠のく」に対し「いざさかる」などがあり、俗雅変換のたすけとなるでしょう。

しかし、これが古典の価値観や語彙に対応しないものの場合はどうでしょう。例えば先に挙げた助手席や電話など、新たな概念を表す語の場合や、スマホやスキーなどの外来語は古典籍から類似例を探すことは不可能でしょう。

ではどうすべきなのか。私の答えは「それらの使用を最低限にとどめること」と「もしその語自体が、あるいは前後の語との音の関係により調べを害する場合は類語への言い換えもしくは並び替えをすること」そして「これらの語を用いるときは枕詞や掛詞などに代表される修辞法に気を遣ってみること」、最後に、字面の気休めかもしれませんが「歴史的仮名遣いでひらがなを用いること」の四つです。

具体的には、例えば語数制限なら、一首につき一語または二語までとするなどの制約を設けること、ただし方言などはその限りでなし等が挙げられます。また、並び替えにより漢語に多いラ行で始まる語や「ん」のつく言葉を音律上また意味上有効な位置に配置するなど調べに著しい乱れをきたさないように心掛け、修辞や字面の気休めにより和歌らしさを保てるのではないでしょうか。

最小限幸い、信綱も晩年は、卑俗、不潔でなく、調べに支障ない限り、としたうえで漢語、俗語さらには方言や外国語の使用を認めています(新派和歌)。要は、歌は雅語を用いることが前提であることを認識し、使用する語を吟味し、雅でない語を濫用しないことに尽きるかと思います。

 

おわりに

近代の歌人らにおいて、雅俗の区別を和歌の腐敗のもととした正岡子規らの論に言わせれば私の論は前時代的あるいは差別的なのかもしれません。ただわたくしの主張は和歌における雅語や大和言葉の使用を通じたそれらの保存であると同時に、披講されることを前提とした歌作りへの回帰なのです。和歌は歌である以上、歌わなければならいと思うわけで、中身や言葉遣いがいかに素朴であってもまた風雅であっても歌として成立するかどうかに懸かっているものと思います。

 

参考文献:安田純生,(2013)「和歌から短歌へ」

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